書物史講座 キャクストン版『世界の鑑』

こんにちは。
今日もですね、キャクストンの続きということで、少しお話を進めたいと思います。

ウィリアム・キャクストン。
大陸でブルージュで最初の英語の本を印刷し、しばらくたったらロンドンへ戻り、ロンドンの隣にあるウェストミンスター寺院の一角、Red Paleという場所、そこに印刷工房を設けて印刷を始める。

そして彼が亡くなったのが1492年3月ごろと言われていますから、大体彼の晩年といいますかね、彼の生涯のうちの後半20年間、ですから1472年あたりから92年まで20年間の間に約100点の印刷物を出版しています。

ウィリアム・キャクストン William Caxton

ご参考までに、彼が大陸から連れてきたウィンキン・ド・ウォードという弟子この人物、恐らくオランダ人とかそのあたりの人だったと思いますけれども、彼が跡を継ぐんですね。


ウィンキン・ド・ウォード Wynkyn de Worde

そして、ウィンキン・ド・ウォードが印刷、出版した本は大体1530年代の初めぐらいまでで800点ということになっています。
ですから、当然生産点数としては弟子のウィンキン・ド・ウォードの方が多いわけですが、それから、彼は印刷所をある時に、ウェストミンスターからロンドン市内、下町に移してフリート・ストリート(Fleet Street)という、長い間そこは印刷出版のメッカと言われていた一角があるんですが、そこに印刷所を移しました。

その辺に今も Stationers’  Hallというのがありまして、書籍商組合のギルドがそこにできたらしいのですが、今でも使われています。

そういうことを前提としながら、今日お話するのは、私が持っております、キャクストンの2つの本、特にウェストミンスターに戻って間もなく印刷した、チョーサーのボエティウス、チョーサーが英訳したボエティウスの版。それから、亡くなる1年2年ぐらい前に印刷した『世界の鑑』と呼ばれる作品をご紹介したいと思います。

後の方からご紹介しますと、小さな版ですね、small quartoの版です。

Gossuin de Metz, The Mirrour of the World, translated by Caxton, Westminster: Caxton, 2nd ed., 1490
ゴスマン メッツ、世界の鑑、キャクストン訳、ウェストミンスター、キャクストン出版、第二版、1490


この中身は何かといいますと、ゴスワン・ド・メッツという人物が書いたフランス語の『世界の鑑』というThe Mirror of the World『世界の鑑』、「かがみ」という時に本当のミラーの「鏡」の訳でもいいんですが、多くの場合には図鑑の「鑑」という字、それを使って『世界の鑑』というふうに読ませているケースが多いと思います。

よく売れた本らしいです。それがなぜ分かるというと、3回出しているんですよね。そして今日お持ちした版は、1490年に出した第2版ということになります。

これも不思議なことに、こんな後になってもキャクストンは、何年の何月何日にこれを出した、という奥付を持っていません。
このエディションもですね、ですから色々な証拠から考えて用いられている活字、Type 2とType 3だというふうに研究されてますけれども、そういうような形で、1490年頃に出たものだろう、という推測が成り立つわけであります。そして、絵がたくさん入っております。

これは『世界の鏡』というのは、一種の百科事典ですね。そんなに分量は多くないんです。
ですから、もっと大きな百科事典があったものを、縮小して簡単に説明しているというものだろうと思います。
そして、最初の私のコピーですとsingnatureのCの1、比較的前の部分ですが、そこの裏に教師が生徒に向かって講義をしているというその絵が2つ入っております。

singnature C1

1つは教師が右手に大きなBirch (樺)、ほうきみたいなものを持っています。これは生徒が答えられないときとか、あるいはうるさく騒いだときに、お仕置きに使うものだと思います。

この類いは後々まで、パブリック・スクールなんかで簡単な悪さをした生徒をつかまえてきて、お尻を出させて、そこに鞭打ちの刑というのをやったようですけれど、刑ということはない、お仕置きですね。それをやるための道具、これかなり最近まで使われていました。

確か1970年代の半ばに、体罰はやめようということで、どこのパブリックスクールもやめたという話、それを聞いたことがありますけれども、それの元みたいなもんですね。

それから2枚ある絵の下の方は、先生がちゃんとテクストを広げて、書見台において、そしてそれから講義をしているという、そういう姿を表しています。

こういう教師とそれから弟子たちTeacher and the disciplesというテーマの絵は、たくさんありまして、ドイツのヘンリー・クェンテルなんかも、さまざまな形で使っています。それだけを比較するのも、非常に面白いだろうと思いますね。

Guido de Monte Rocherii, Manipulus curatorum, printed by Henricus Quentell, Coloniae, c.1480
ギド・デ・モンテ・ロッケリ、僧侶のガイドブック、ケルン:ハインリッヒ・クェンテル、1480頃

さて、そのページの右側を見ますと、テキストが大きくえぐられています。これは、貴重な木版画があったんでしょうけれども、誰か悪さをする人間、あるいは意図的に系統的にやったのかもしれませんが、何枚のページ下にあった絵が無残にも切り取られています。

その結果、その裏に印刷されていたはずのテキストがなくなるという、そういう悲しい運命を担った印刷本であります。よく見られる傾向なんですが。

それから1つで完全な絵になっているはずですが、おそらく日食とか月食とかそういうものを観測するために描かれた木版だと思います。これが邪魔者が少し入っていましてね、おそらく一番右上に出てくるのが、これが太陽だと思います。それから、真ん中に地球儀みたいなものが置かれています。しかも、ちゃんと下からそれを支える柱が出てまして、固定してあるわけですね。それから、その上に小さな円あるいは球と言いますかね、それが描かれていました月かもしれません。

ですから、これは太陽と月と地球を表したものですから、食の研究ですね。食というのは食べる、日食月食の類。そして、それを観察するのに研究者が左手に持っているものが、これが観測儀です。Astrolabeという天体を調べるときの観測儀がありました。それとよく似たものが描かれています。
こういう絵がたくさんあるので、なかなか面白いんですね。

そして、私のこのキャクストン本には、もう欠葉が非常に多いので、大事な部分は無くなっちゃっているんですけれども、ちょうどそれを扱ったのがありまして、ロッテ・ヘリンガ先生がお書きになった『初期イングランド印刷史 キャクストンと後継者たち』。

初期イングランド印刷史 キャクストンと後継者たち
イングランドに印刷術をもたらしたウィリアム・キャクストンと彼の同時代及び次世代の印刷業者たちの活躍にスポットを当て、豊富

翻訳は、徳永聡子先生がおやりになってますが、それの73ページというところに、キャクストン版の『世界の鑑』。これの中には、説明によると、中世宇宙学中世のCosmology(宇宙学)の写本に、伝統的な天体図などの図版が入っている。上に示すのは日食の挿絵である、ということで、ちゃんと順番に並んでいて、どこからの光でそういうふうに見えるということが明らかになって、これは大英図書館にあるコピーを、その該当ページをあげています。

こういったような形でキャクストンの『世界の鏡』というのも、一種の教科書として読まれていた、というふうに考えられます。

で、これが大体三つの版があって、私のは1490年頃の第二版だろう、というふうに考えています。さて、もう1つはボエティウスのテクストです。(次回に続く)

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