アーサー王伝説 第4回「定着」

動画概要

6世紀のサクソン人の襲来に雄々しく立ち向かった武将が、アーサーと名付けられ、口承伝説でブリトン人の間に広まった。

12世紀のウェールズ人僧侶ジェフリー・オヴ・モンマスが『ブリテン列王史』の3分の1を割いてアーサー王の事績を扱ったために、誕生の経緯から宝剣エクスキャリバーの獲得、円卓の騎士団の創設と全国制覇、グィネヴィアとの結婚、ローマ遠征を利用して甥モードレッドの王位と王妃簒奪、伯父と甥の戦い、瀕死の重傷を追ったアーサーの妖精の島アヴァロンへの旅の一代記は、全欧に広がった。やがて、起源が異なるトリスタン伝説や聖杯伝説を巻き込んで、人口に膾炙した。

15世紀末にトマス・マロリーが仏英作品を翻案した『アーサー王の死』は、伝説の貯水湖としての役目を果たし、19世紀以降に蘇る伝説の源となった。

The Arthurian legends were well established about 1136, when Geoffrey of Monmouth wrote in Latin the Historia Regum Britanniae, in which he spent a third of the whole book on the hero’s birth and acquisition of Excalibur, the adventure of the knights of the Round Table, and the betrayal of his nephew Mordred, who stood against Arthur during his Roman campaign. This resulted in a fatal battle, in which Mordred was killed, while the critically wounded Arthur was carried to Avalon.

The illicit love of Lancelot and Queen Guinevere, and the agony of Arthur in the eternal triangle, which were absent in Geoffrey, were introduced into later versions such as Wace’s Brut in French and Layamon’s Brut in English.

These romantic elements were later elaborated, particularly in Sir Thomas Malory’s Morte d’Arthur (1471), which served as a water reservoir, as it were, for the 19th century revival of Arthurian legends in literature and in arts.

動画内 使用画像

マロリー『アーサー王の死』写本
ジェフリー・オブ・モンマス『ブリテン列王史』 J. A. ジャイルズ英訳(1842年) 左側は『ブリテン列王史』のラテン語写本

ヴァース『ブリュ物語』(1836年)
フレデリック・マッデン編『ラヤモンのブルート』(1847年)

映画『冬のライオン』Movie The Lion in winter

ヘンリー2世とエレアノール王妃、そして中世の王室の恋愛あるいは憎悪については、こちらの映画が非常に上手く映しています。

冬のライオン - Wikipedia

マリ・ド・フランス『十二の恋の物語―マリー・ド・フランスのレー』月村辰雄訳、岩波文庫(1988年)

松原秀一『中世ヨーロッパの説話 東と西の出会い』中公文庫(1992)

アーサー王伝説 再生リスト

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