ブリテン諸王の系図 00:26〜
ブルータスにはじまるブリテン諸王の系図にアーサー王を含めることは、ブリトン人の年代記にアーサー王の事績が入って以来当然の成り行きであった。
とりわけ薔薇戦争で国内が二分された15世紀のイングランドでは、王権を主張する際に、先祖がブルータスやアーサーに遡ることを示すために多くの系図が制作された。
ヘンリー7世は母親マーガレット・ボフォートの祖先がウェールズの貴族であったために、自分とアーサー王を結びつける策略を巡らせた。
第二のアーサーは現れたか 01:40~
ウィンザーではなくキャメロット宮廷があったとされるウィンチェスターで生まれた長男に、アーサーと名付けたのもその1つで、宮廷詩人たちはこぞって「第二のアーサー現る」と詠ったのだった。
本来ならヘンリー7世の長男アーサーが、ヘンリー7世の跡を継いでアーサー1世となるはずだったが、彼は生まれつき身体が弱かった。そしてキャサリン・オヴ・アラゴンというスペインの王女と政略結婚したが、すぐアーサーは死んでしまった。
そのままキャサリンをアラゴンに帰すわけにはいかないと、ヘンリー7世は、次男ヘンリーとキャサリンを強引に結婚させた。これがヘンリー8世で、自身の離婚問題からカソリック教会を離れ、英国国教会を樹立するなど、後のイギリスの歴史に非常に大きな影響を与えた人物だった。
系図写本の例『ポリクロニコン』
http://exhibits.library.yale.edu/files/original/20131f2018eb0164141b0a0e4e827a3d.jpg
ヒグデンが14世紀に著したラテン語の『ポリニコン(万国史)』は人気を博して、多くの言語に翻訳され、15世紀末以降は印刷本で人口に膾炙した。15世紀前半に英国で制作されたこの写本は、潤沢な余白を利用して挿絵や注釈を施してある。その原型は、当時流行った英国王の系図巻子本(最初は聖書のアダム、或いはブルータスから始まる)の形式にあった。
The Polychronicon, a lengthy account in Latin of the European history which Ranulph Higden wrote in the 14th century, was widely disseminated in many languages in manuscript and later in print. The present manuscript was made c.1425-1450 in a metropolitan workshop, in which genealogical rolls of English kings, tracing back to Adam or to Brutus, were abundantly produced. They were very popular during the time of the Wars of Roses, as a means of political propaganda.
マロリーの『アーサー王の死』 03:27~
犯罪歴のある15世紀後半のサー・トマス・マロリーは、獄中で英仏の原典を用いてアーサー王一代記を完成させた。1934年に発見されたウィンチェスター写本は自筆原稿ではなく、2人の写字生が転写した紙の写本である。『アーサー王の死』は近世の槌音が聞こえる時代に、凋落していく騎士道社会へのノスタルジアが見られる。
キャクストン印刷 04:21~
英国最初の印刷業者ウィリアム・キャクストンは、写本を編集して1485年に『アーサー王の死』を出版した。その後重版されたが、1634年以降は長い間出版されなかった。
『アーサー王の死』の大団円 03:27~
物語のアーサーは、息子で甥でもあったモードレッドを闘って、瀕死の重傷を負い、妖精の島アバロンに運ばれて、妖精の女王らに見守られて、眠る。ブリトン人が再び危急存亡の秋を迎えるまで。19世紀末、画家バーン・ジョーンズはこの主題で大きなタピストリーを製作した。
アーサーの最後の闘いは、イングランド南西部のソールズベリー草原であった。休戦交渉の合間に、叢から現れた蛇を切り払うため騎士が抜刀した瞬間、運命の戦いのきっかけとなった。まるで、米露冷戦下の交渉でブラックボックスの誤操作によって核戦争が起こる可能性があった事実を、想起させるように。
騎士道の指南書 08:56~
平和が続く江戸時代に、戦いを旨として存在する武士道が翳りを迎えると、侍の倫理綱領として「葉隠」が現れたように、中世の秋を迎えた騎士階級のため『騎士道の掟』が書かれ、キャクストンが印刷した。彼を尊敬する19世紀のウィリアム・モリスは、私家版で再版した。
16世紀のアーサー王伝説 09:22~
エリザベス1世の家庭教師だったロジャー・アスカムが『学校教師』の中で非難したように、16世紀の人文主義者たちは騎士道精神を否定した。急速に衰退した騎士道は、セルバンテスの『ドン・キホーテ』では揶揄の対象となり、騎士ロマンスを読みすぎた主人公が、羊の群れに槍を突き立てる場面が描かれた。
ミルトンとアーサー王伝説 10:56〜
17世紀の英詩人ジョン・ミルトンは、英国には建国叙事詩がないことを憂えて、アーサー王を主人公とする企画を模索したが、長年の調査の挙句出版した『ブリテンの歴史』(1670)では、アーサー王実在説をはっきり否定した。
忘れられた伝説 11:35〜
16−18世紀にはアーサーを主人公にした文学作品は生まれなかった。せいぜい、アーサーを主人公とするバラッド(俗謡)が流布したぐらいである。小型の暦で、British Merlinと称する本がよく売れたが、これは預言者マーリンの名前を用いたものだった。
Thomas Percy, Reliques of Ancient English Poetry, 3rd ed., vol. 3, p. 37ff.
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