ブローチの起源と発展

ドレス・アップという言葉もほとんど死語になりましたね。ヒッピーやビートルズ世代が「着飾る」ことに反抗して「ドレス・ダウン」を始めると、それまで女性が着飾る際の必需品だったブローチへの関心も薄れました。近くにお住いのおばあさん世代の女性に尋ねてみましょう。もう鬼籍に入ったわが母も、クラス会やPTAの会合などに出かけるときは、ブローチを胸につけていました。

「ブローチの起源」は安全ピンにあります。一本の針金をうまく曲げて、尖った先で身体を傷つけないようにカバーしたものです。紀元前10世紀ごろの話ですが、寒いヨーロッパでは戦士たちがクマなどの動物の毛皮でコートを作った時、胸の前で両端を留めるのに用いたのは一本の長い青銅製のピンでした。直線のピンは落ちやすかったので、これを曲げると安全ピンの形状になります。装飾用ではなく実用品でした。

これは考古学上では、青銅器時代でした。ヨーロッパではその前半をハルシュタット文化、後半はラ・テーヌ文化の時代と呼びます。ギリシャ人がケルトと呼んだ部族が強かった時代です。前者はオーストリアのザルツブルク近郊、後者はスイスの湖畔の地名を採用しています。ザルツブルクは「塩の町」という語源を持つことから分かるように、ハルシュタットの遺跡も19世紀半ばに発見された岩塩坑です。ここで取れた岩塩は現代でも珍重されていますが、古代ギリシャ人が必要とした塩の交易の拠点だったのです。

ハルシュタットの出土品の中に、眼鏡ブローチと呼ばれる、青銅線で作った二つの円形の裏側にピンを付けたものがあります。紀元前8世紀ごろの作品で、戦士の獣皮コートの留め金でした。ブローチというよりフィビュラ(留め金)と呼ぶべきものです。

その一方で、安全ピン状のブローチの上部線だけ叩いて延ばし、葉っぱ状にしたリーフ・ブローチが登場してようやく現代人にも認識できるようになりました。

まもなく実用的なフィビュラとは別物のブローチも登場しました。とりわけ、ローマ帝国の英国侵入にもたらされたもので、後にケルトの要素が混入したのでRomano-Britishと呼ばれます。胸飾りとして付けるには小さすぎる形状の、動物や様々な意匠をもつこの種のブローチは、神性があるとされる池や水辺に魔除けの意味で投げ込まれました。ケルトの芸術性も見られるこの種のブローチの裏側には、ピンを巻いたコイル状バネか、より高度なスプリング状のバネが用いられました。このようにブローチの観察には、表の装飾性と裏のピンのメカニズムに注意する必要があります。

バネのついたブローチの一例

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