書物史講座『ロクスバラ・クラブ後編』The Roxburghe Club 2/2

イングランドにおけるロクスバラ・クラブの成功は、ライバルのスコットランドを刺激し、バナタイン・クラブやメイトランド・クラブが誕生したが、いずれも短命に終わった。ロクスバラ・クラブは現在も続いている。19世紀後半には、フレデリック・J・ファーニヴァルの唱導で、多くの出版協会が生まれた。オクスフォード大辞典(OED)編集の便宜のために生まれた協会も多い。


The successful development of the Roxburghe Club gave an impetus to the birth of Bannatyne and Maitland Clubs for publishing old literature, but they were short-lived, while the Roxburghe Club outlived. In the second half of the 19th century, Frederic J. Furnivall was instrumental to organise various literary societies, so as to help to edit the Oxford English Dictionary.

00:25  書誌学的スキャンダル 

さて、クラブはこういった貴重な資料の出版を可能にしただけではありません。1934年には書誌学的なスキャンダルの舞台にもなったことがあります非常に有名な事件です。

1927年に、シドニー・コッカレルとフレデリック・ケニオンの推薦によって、ロクスバラの会員になったT. J. ワイズ(トマス・J・ワイズ)という人物。書誌学界で大活躍をしまして、最高の権威としてロンドン書誌学会の会長をやり、オックスフォードのウスター・コレッジの名誉フェローを務めオックスフォード大学で名誉修士をもらう。そういったわけでありました。学会の頂点を極めておりました。

ところが1934年に、書誌学者のジョン・カーターと、先ほど申し上げたグレアム・ポラードの二人が長年の調査結果に基づいて、ここに長いタイトルですが『ある19世紀パンフレット類の本質に関する調査』というタイトルの本を出版しました。

直接名指しされることはなかったものの、エリザベス・ブラウニングの『ポルトガル語のソネット』初版(1847年)など数々の偽作ですね、偽物。これがワイズの仕業であるということを暗示しておりました。

その結果『タイムズ』の文芸付録の上でワイズとカーターは度重なる論争をしました。その挙句、ワイズは健康状態を理由にロクスバラ・クラブの会員を辞任しましたけれど、大英図書館は彼の入館証を剥奪いたしました。

ワイズが作ったこの偽物の数々。言われる前に購入してしまったシカゴの蒐集家に、ジョン・ヘンリー・レンという人物がおります。彼の蔵書はすべて、今テキサス大学のオースティン校の図書館に収蔵されております。

Thomas James Wise T.J. ワイズ
オックスフォード大学 ウスターコレッジ Worcester College, University of Oxford.
AUSTIN,USA – JULY 19, 2008: Landscape of Academic building dome in University of Texas (UT) in Austin, Texas. UT, founded in 1883, has the fifth-largest single-campus enrollment in US. テキサス大学のオースティン校
John Waynflete Carter ジョン・カーター
John Carter and Graham Pollard, An Enquiry into the Nature of Certain Nineteenth Century Pamphlets, London: Constable, 1934
Elizabeth Barrett Browning エリザベス・ブラウニング 
E. B. B. [Elizabeth Barrett Browning], Sonnets [from the Portuguese], Reading: [Not for Publication], 1847. A  celebrated forgery by T. J. Wise, purporting it to have been printed for private circulation before the authentic publication.

02:30  ニコラス・バーカーの出版

今に至るもロクスバラ・クラブは続いている。毎年1冊ずつ誰か会員が贈答用に出版物を作るわけです。一昨年はニコラス・バーカー、『ザ・ブック・コレクター』の編集長でありました、ニコラス・バーカーがおそらく、自分が持っていたはずのレジナルド・ヒーバーが書いた『インドからの手紙』(1824年)という、薄いこの書簡のファクシミリを作り上げました。

同時に少し前なんですけれど、2012年にこの手のものを委嘱すると最高の本を作るニコラス・バーカーが『ロクスバラ・クラブ二百年史』というのを、ロンドン好古家協会にあるクラブのアーカイブをもとに執筆しております。

今申し上げたレジナルド・ヒーバーは、カルカッタの司教だった人物で、先ほど申し上げたリチャード・ヒーバーと異母兄弟の関係にあたります。

ロクスバラ・クラブの出版物は、特に最初のところにはクラブの会員のリストが入っています。伝統的な共通点があります。

Nicolas Barker, A Letter from India written in 1824 by Reginald Heber, the Roxburghe Club, 2020 
Reginald Heber レジナルド・ヒーバー

03:35  会員リストの称号

会員名には称号がついていますけれど、例えば学士とか修士とかPhD、博士号といった学位それから名誉博士、それから好古家協会のフェローFSA、これは認められていません。

その一方で、D Phil オックスフォードで出す博士号ですね、あるいは学士院のフェローFBAは認められています。称号を全く持たない会員にはEsquireというのを後ろにつけます。これはミスターという意味です。

会員リストの一例

04:22  クラブの現会員

2020年時点での会員リストには、20名ほどの貴族がリストアップされています。

そのほかに、学者では美術史のジョナサン・アレクサンダー、写本学のクリストファー・ド・ハメル、それからアングロサクソン語のサイモン・ケインズ、書誌学のデイヴィッド・マキトリック出版のジョン・マリー、出版社の社長ですね。それからボドリアンの前図書館長だったリチャード・オヴェンデンといった名前があります。

女性会員はと思って目を皿のようにして、調べますと3人おりました。レディ・ロバーツ、レディ・ゲッティ、アレクサンドラ・シットウェルの3人であります。

05:08  都市間のライバル意識

ちょっと話を変えます。

20世紀の前半までニューヨークとシカゴの間には、ライバル意識が非常に強い文化的な現象というのが見られました。例えば片方にメトロポリタン・オペラがあれば、片方にシカゴ・リリック・オペラ、片方にグロリア・クラブがあるとキャクストン・クラブというのが生まれる。いい意味でのライバル意識が存在しました。

同じように19世紀のロンドンとグラスゴー、エディンバラの間にもあったようであります。

05:42  スコットのバナタイン・クラブ

例えばスコットランドの英雄だったサー・ウォルター・スコットは、1823年にロクスバラ・クラブの会員に選出されたにもかかわらず、年次例会には一度だけ出席した。そして5年後に献呈した本はディブディンから今までの献呈本の中で「最も面白くない、価値のない本」だと酷評される始末でありました。

スコットはすでに1823年に、学者でスコットランド語の詩の蒐集家だったジョージ・バナタインの名前に由来するバナタイン・クラブを設立し会長を務めていました。その目的はスコットランドの歴史、古物、文学と関連する作品を印刷出版することだったわけであります。

31名の会員数で始まったバナタイン・クラブは数年後には100名まで増やしました。そしてロクスバラ・クラブの方針とは異なって、余分の印刷部数を一般向けに販売いたしました。エディンバラの弁護士協会の図書館長だったデイヴィッド・ラングがクラブの事務局長として采配をふるいながら、自ら積極的に出版に関わりました。ところが次第に資金が枯渇して、1861年解散に追い込まれました。

Walter Scott サー・ウォルター・スコット

07:07  メイトランド・クラブ

スコットランド、グラスゴーに1828年誕生したメイトランド・クラブ、これはバナンタインの運営方針を参考にしましたが、実際はこの二つのクラブに所属していたスコットランドの著名人は、非常に多かったようです。

1833年スコットが死去した翌年、彼の業績を記念するためにその彼の豪邸の名前を取ってアボッツフォード・クラブというのが誕生しました。

07:37  騎士ロマンス『ハムトンのサー・べヴェス』

1838年にメイトランド・クラブで出版された『ハムトンのサー・べヴェス』、これはかなり重要な騎士ロマンスであります。オーヒンレック写本の中にありました。チョーサーはひょっとしたら読んだかもしれないです。

William B. D. D. Turnbull, ed., The Romance of Sir Beves of Hamtoun, Edinburgh: Maitland Club, 1837  

07:53  アーサー王伝説『サー・ガウェイン詩集』

で長い間、現代の中世英文学研究者とりわけ中世英語の騎士ロマンスを研究してきた者にとっては、バナタイン・クラブが1839年に出版した『サー・ガウェイン詩集』。

フレデリック・マッテンが編纂したものです。

これは極めてありがたい一冊でありまして、英文のタイトルは、

Sir Gawain: A Collection of Acient Romance Poems by Scottish and English Authors Relating to that Celebrated Knights of the Round Table with an introduction, notes, and some glossary.

非常に分厚い本で、サー・ガウェインというアーサー王の騎士が主人公になっている騎士ロマンス、これを全部集めたものであります。1839年に出ている。しかも編纂したのが大英博物館の写本部長だった極めて正確さをもって知られていたサー・フレデリック・マッデンであったということで、私も最近まで非常に重宝しておりました。

Sir Frederic Madden, ed., Syr Gawayne: A Collection of Ancient Romance-Poems, London: the Bannatyne Club, 1839

08:57  出版ソサエティへの変化

こういった歴史的な文献を再版するというのが中心だったクラブの活動というのが、1840年代になると文学のテクストを重視する傾向に変化していきました。

ハロルド・ウィリアムスという人物の書いた『グレート・ブリテンとアイルランドのブック・クラブと印刷協会』という、1929年の極めて便利な要約した本がありますが、残念ながらだんだんその出版クラブというのがですね、出版するためのソサエティに変わっていく。

Harold Herbert Williams ハロルド・ウィリアムス 

09:32  フレデリック・ファーニヴァル

特に19世紀の半ば以降になると、英語学者フレデリック・ファーニヴァルが登場して、極めて顕著な活躍をするようになりました。ロンドンに留学中の夏目漱石も、ヴィクトリア社会の知的ダイナモともいえるファーニヴァルに会いに出かけまして、日記に書いてます。「すこぶる元気な爺さん也」。

有名な18世紀に編纂されたサミュエル・ジョンソンの英語辞典、これを改訂しようということで、ファーニヴァルが乗り出し、New English Dictionaryというのを編纂しようとしました。これは今我々がOxford English Dictionaryと呼んでいるものですね。

これを編纂するためには、まず昔のテキストをきちっと誰にでも読めるようにしておかなくてはいけない、というので今も残るEarly English Text Society, EETSというのを設立します。そして自らも編纂に加わりました。

ファーニヴァルはですね、チョーサーの言語をきちっとやる必要があると思い立って、Chaucer Societyというのを作りました。すぐポシャってしまいましたが、今はNew Chaucer Societyという形で生き延びております。それからシェイクスピア研究についてもShakespeare Societyというのができました。

ところが、ジョン・ペイン・コリアというシェイクスピア学者がでっち上げた第二二折本、Second Folioへの書き込みというのがありますこれは偽物だ、自分で書いちゃったんですが、そういう不祥事のためにシェイクスピア協会は瓦解しますそしてさらにファーニヴァルが再建したNew Shakespeare Societyも彼自身の無責任さから傷ついて消えてしまいました。

ファーニヴァルは熱血漢でありまして、詩人のA. C. スウィンバーンとか、あるいは学者のジェームス・オーチャード・ハリウェルと実りなき論争を繰り返して、協会の幹部が次々と辞任して、協会の閉鎖につながってしまいます。

Frederick James Furnivall フレデリック・ファーニヴァル
夏目漱石 Soseki Natsume
Samuel Johnson サミュエル・ジョンソン
Algernon Charles Swinburne A. C. スウィンバーン
James Orchard Halliwell ジェームズ・オーチャード・ハリウェル

11:39  今も残るソサエティ

こういった形で今も残るSocietyとしてはEETS, Early English Text Society、それからOEDの編集局は今も続いております。オックスフォード大学には、そういう部門がひとつあります。

省みますと、ディブディンとファーニヴァルというのは、19世紀における書物クラブあるいは協会の運動に情熱的に推進させた人物だった。その後は事務局の運営が、なかなかうまくいかないという時代もあった、ということを最後に結論として申し上げたいと思います。

12:19  clubbable

今はクラブというのは、日本ではゴルフクラブみたいなものが長いことありましたけどね。英語のclubの形容詞にclubbableというのがあります。これは「社交好きな」という意味であります。ジョンソン博士は最もclubbableな英国人と呼ばれました。

しかし21世紀に生まれたこのネット環境の下でも、あるいはコロナ禍でも自分の家から出て友人と群れて口から泡を飛ばして議論し合う社会というのは期待できますでしょうか。

これをもって私の今日のお話とさせていただきますご清聴ありがとうございました。

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