オクスフォードの窓辺から Visiting Oxford Talk 1

Talking from Randolph Hotel, situated in the city centre of the university, Takamiya makes a short account of Oxford and its celebrated Bodleian Library.

大学町の中央にあるランドルフ・ホテルの一室から、オクスフォードとボドリアン 図書館の沿革に言及する。14世紀に始まる英国の知の宝庫である。

00:28 オクスフォード訪問

こんにちは、高宮です。

今日はですね、オクスフォードからお話をしたいと思います。

ちょうど6月5日に空港に到着いたしまして、そして3日ほど経ちました。ジェットラグもですね、ようやく少しずつ過ぎ去ろうとしている。

オクスフォードのちょうど真ん中にあります、ランドルフ・ホテルという有名なホテルですが、そこに滞在しながらこの報告を致したいというふうに考えます。その3階の1室に今座っております。

01:07 オクスフォードの最初の印象

昔のオクスフォードと言えばですね、窓枠のところのガラスの強度の問題なのか、あるいは建て付けの問題なのか、夏でも冬でも非常に寒い隙間風が入ってくる。そして街の騒音も聞こえてくるというのが普通でしたが、今日こうやってお話をしている間、ちょうど観光のシーズンでありますので、たくさんの人が歩いてるわけですが、彼らの喧騒の音は何にも入ってきません。

それから、昔ですとね、朝早くは夜露が降りていた。そういう湿度の高い状況でしたけれども、今何にもそれを体験することがなくなりました。

こういった変化が今回、久しぶりにオクスフォードにやってきて、きちんとした建物の中に入った最初の印象です。

昔はですね、床が歩いているとギシギシと床の板がきしむ音が聞こえました。それから何やらボコボコという音もいたしました。ああ、これがイギリスだなという感触があったんですが、今はそれがほとんどなくなりました。この日、ちょうど今時間がですね、午後3時半頃。大変な太陽の光が入り込んでいる、そういう雰囲気の中でお話をしたいというふうに思います。

02:35 1976年の初回滞在

私がオクスフォードに初めてやってきたのは、恐らく1976年の夏休みだったと思います。ちょうど75年から3年間と2カ月ケンブリッジに留学しておりまして、オクスフォードの図書館でBodleian Libraryという有名な図書館で、そこにある写本の仕事をする、その目的で来始めた、それが初めてであります。

そして、ここにパリオグラフィー古写本学の教授としておられたマルカム・パークス先生のご指導を得て、彼が所属するコレッジキーブル・コレッジの別室に泊めていただいて、何日間か過ごす。そして図書館に行って仕事をする、という学究的な生活を楽しんだことを思い出します。

Keble college in Oxford, United Kingdom

そういう中で、私は1976年からほとんど毎年のように、イギリスにやってきて、ケンブリッジを中心に、オクスフォードやロンドンで写本研究の仕事をしていたわけです。そして、そこで得た成果をもとにして、研究論文を書くというような日々がありましたが、今や引退しておりますので、もう少し新たな気持ちで、新たな気持ちっていうのは変ですけれども、新しいイギリスの環境の中でお話しできることを非常に喜びとしております。

04:07 オクスフォードの天候

今日は久しぶりに快晴こんな美しい夏の日、稀なことでありまして、御存じのようにイギリスでは1日に春夏秋冬の天候の変化が全部ある。雨が降ったかと思うと一旦晴れ渡り、そしてまた天気が悪くなるそれの繰り返しだったんですが、今日は珍しいことにずっと晴れております。

ここへ到着してから3日目になりますけれども、今のところ雨は一滴も降っておりません。まあ、たまにはこんな夏もありましたね。1976年、77年この2つの年は熱波に襲われたイギリスで、木々が枯れてしまうという問題もありましたけども、今日はそんな雰囲気は全然ありません。

04:59 Oxfordの由来

で、オクスフォードに来ております。オクスフォードというのは、ox 雄牛が渡れる小川の流れのことをいいます。fordというのは小川っていう意味ですね。

ケンブリッジはケム川の上に跨って橋ができて、これがCambridgeの初めの形なんですが、実はケム川といっても本当のCam, River Camではなくて、そこだけGrantaという名前が付いている。Grantaが音韻変化を起こして最終的にcamになったわけですが、オクスフォードはもう少し簡単に雄牛が渡る川の瀬という意味でできています。

要するに、雄牛でも牛でも渡れる小川ということは、人が行き来するのも非常に楽だった。そういうところでロンドンからやってくる、そして北の方からもやってくるこの道が、そこで交差する。そこで幾つかの家が生まれ、そこで穀物やあるいは他の飼料の集散地として、まず生まれ育ってきた。そういう町でありました。

06:16 オクスフォード大学の始まり

そこに学者が集まるようになって、14世紀になりますと、ここに大学の元になる修道院の元の建物が生まれ、そこで学問研究がなされていった。これがオクスフォード大学の始まりと言えます。

ところが、大学の関係者は当時の国王から特別の権利を与えられていまして、卑属な例で言いますと酒を飲む時間も限られない。今でもそうですけれど、11時半を過ぎますとイギリスの町ではパブがしまっちゃうわけですが、大学の構内に入れば何時でも許可をもらって飲むことができるという、そういう特権が与えられます。

で、その特権をめぐって町の人々と大学の人々の間で、言ってみれば喧嘩が起こるわけですね。その喧嘩が起こって、それを嫌った大学人たちが、オクスフォードを去って、他の場所に移って、新たな大学を作る。ですから、1世紀ぐらい遅れて、ケンブリッジ大学が生まれます。で、中世の大学としては、イギリスではオクスフォードとケンブリッジ大学、あるいはスコットランドにも大学が生まれますけれども、大学教育というものが次第に発展してくる。その卒業生たちが、国の行政やあるいは司法やあるいは教育というものに携わるという、そういう伝統が生まれるわけですね。

そのうちの一つが、この窓から向こう側に見える、たくさんの30幾つかの軒を連ねる、コレッジというものが生まれる。そのコレッジというのは、学問を目指す人々若者たちが集まって、寝居を共にしながら学問に精を出すという形で発展してきたわけであります。

08:26 古書体学マルカム・パークス先生

私が最初にここに来たのが、1976年の夏です。キーブル・コレッジというのが新しい19世紀のコレッジですが、そこにいたマルカム・パークスという有名な古書体学の学者、その先生に可愛がられてそこに泊まり、そして彼は夜中じゅう勉強するんですね。そして朝はゆっくり11時頃、起き出すという人だったんです。実際に、研究室に来るのは3時とか4時とかというそういう時で、で夕食を食べるために私と一緒になり、ガウンを着て、コレッジのディナーに出る。で、それが終わった後、研究室に戻って夜の8〜9時ぐらい10時ぐらいから議論が始まる。延々と続きました。そこで学んだことは非常に多いですね。

「こんなことも知らぬのか」と言われる一方で、「おお、こんな珍しいことをよくわかってるんだな」という風に褒められたり、いろいろな形で先生とのお付き合いが発展しました。

09:35 直弟子ジェレミー・グリフィス

その間をつないだのが、ジェレミー・グリフィスという非常に若い大学院生でして、マルカム・パークスの直弟子でしたが、この人が人と人の間をつなぐのは非常にうまい。で、私も良い友達になりまして、一緒に時を過ごした。

残念ながら、彼はその10年後ぐらいに突然亡くなってしまった訳ですけれど、彼の遺志を継いで、この大学には父親母親が寄贈した基金を元に、英語の中世の英語のパレオグラフィー古書体学を教えるコースが生まれております。ダン・ウェイクリン教授は、そこの最初の教授であります。先日も食事をしながら色々な話をいたしました。

10:29 Bodleian Library

で、このオクスフォードにやってきますと、必ず行くのがボードリアン・ライブラリーという、ちゃんとした研究書も出ております。

写真がたくさん入っております。この裏表紙を見ますと、そのボードリアン・ライブラリーの一番上、デューク・ハンフリーズ図書館というのがありまして、ここで写本の研究をする。そこで、毎年のように私は時間を過ごしたわけであります。

Duke Humfrey's Library - Wikipedia

この当時ですね、ちょうど写本学者のニール・ケア先生が授業をやっていたそれからリチャード・ハントという中世の西洋写本の部長がおられた。オクスフォード大学の中世写本研究の一つの砦として、そこが機能していた訳ですね。

11:26 Bodleian Libraryの寒さ

今はそれほどではありませんが、ここはですね、冬は寒い夏でも寒い、気温も低い湿度は高い。場合によっては、手袋をして研究したいなと思うぐらいに、厳しい自然条件の中でやっておりましたが、最近少しですね、そういう環境が整備されて仕事がしやすくなったというふうに思います。

状況はケンブリッジもそんなに変わらないんですが、ケンブリッジの場合には1934年に生まれたケンブリッジ大学の新しい図書館の建物、これは近代現代にできたところなので、少し環境はいいかと思いますけどね。

そういうところで仕事をするのが、通常でありました。

12:16 図書館の利用方法

もちろん写本は借り出すことができませんですから、朝9時から夕方5時頃まで決められた時間で仕事をしなくてはいけない。そういう条件が課されていたわけですけれども、そこに置かれている本は多くの場合にchained booksが置かれていたこともあります。鎖に繋がれた本ですね。そうやって、16世紀の本を守った。

12:47 Bodleian Libraryの起源

オクスフォードのボードリアン図書館というのは起源は研究書を見ると、1320年頃に始まったで、正式には16世紀の終わり、17世紀ぐらいから整備されていったというようなことが書いてあります。で、サー・トマス・ボドリーという16世紀前半の貴族の力によってきちっと整備されたのが、ボードリアン図書館であります。

Sir Thomas Bodley, William Laud, Sir Kenelm Digby, William Herbert, 3rd Earl of Pembroke, John Selden

Sir Thomas Bodley, William Laud, Sir Kenelm Digby, William Herbert, 3rd Earl of Pembroke, John Selden - National Portrait Gallery
by Michael Burghers line engraving 1674 © National Portrait Gallery, London

13:19 図書館アドミッション

少しずつ、図書館サービスアドミッションの形も変わってきております。私が初めてここに来た時には、きちっとした書式に、自分の名前、資格、それを書きこみ、どなたか関係者からのですね、必要な推薦状までもらって、それを提出し、係官と面接をする。

その時にはラテン語による誓いの言葉、要するにきちっと規則を遵守して、決して資料を傷めないようにするという、そういうようなことをラテン語で言う訳ですね。で、ラテン語ができない人のためには、英訳テキストが用意されていて、それを読み上げる。対人で、そしてきちっとそれを宣誓する、というところから始まるわけですね。そして、一旦許可証をもらいますと、どんなことでもサービスに対応して、いろいろな形の研究ができるようになる、そういうシステムがイギリスの図書館の常であります。

その結果、何十何百という資料を一手に自分で研究する。しかも、それがどういうものを研究したら良いかというのも、自分で定めて、あるいは先生から指定されたリストを元にして研究するというのが、普通でありました。

これはイギリス中、どこへ行っても同じようなシステムが取られていたという記憶があります。これが現代にまで伝わっているということであります。

15:03 貴重書のデジタル化

で、今はインターネットの時代ですから、オンラインでそういうものを調べることができるのではないか。

アメリカなんかでは、例えばイェール大学に私が昔所蔵していた中世写本を全て譲渡していますけれども、そこではその写本を全てデジタル化し、それを誰でも世界中どこにいても、インターネットでそれをオンラインで見ることができるようになっております。

イエール大学バイネッケ図書館 高宮コレクション

137 results for TAKAMIYA - Yale University Library Search Results

そういう国際性といいますか、融通がきくようなシステムがどんどん導入されておりますので、図書館サービスの本質も変わってきていると思いますけれども、最終的にはその写本がどんな形で作られたのか、それを知るためには、実際に直接写本を触り、扱い、また、どこにどういうシステムが導入されていたのか、ということまで見極めながら研究する必要もあります。

で、そのための一つの指針が、今日皆さんにお話しする中に存在するそう信じて疑わないものでありますまず、今日はそこまでにいたしましょう。

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